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オリジナルの足を取っ払って新造の足と交換するの図

オリジナルの足を取っ払って新造の足と交換するの図
  • このようにクレーンがあれば簡単に旧足と新造足の脱着、交換が容易ですが、ないと相当根気を要します。あと新旧の足がこの画像に写ってます

  • 普通、全部フライスで仕上げるモノですが、機械を作るための大きなフライスではないので(やってやれないこともない)精度が厳しくない加工は旋盤を多用します。フルバックの刃も有限ですし・・・

  • 無垢のあし

    とにかく、全部自己流故に、はじめから手探り。これは4年くらい前に作った第一号の足(機械はもともとコンクリートに埋めていた従来機)当初は足の剛性というか、重りとしての重量の要求(最低必要重量)が分らなかったので、溶接で鉄の箱を作るのではなく、鉄の塊を削りだして作っています。とにかく重い!足としては贅沢な部品ですが(しかもそれほど高額ではない)削りだしは面倒なので今はこの手は使っていません(いろいろ試行錯誤したんですヨ!)

  • 液体窒素を利用した加工法がそろそろ解禁になるのか、後10年以上待たなければならないのか・・・それはともかくこの手の専用容器(液体窒素容器 シーベル)を私物として揃えるのは非常にキビシーです。小規模工場ですと、液体窒素を必要とする絞り加工なんて、まず来ませんし(汗 酸素や、プロパン、アセチレン等の気体のように長時間、貯蔵できれば良いんですけどね・・・窒息に注意!

名称 オリジナルの足を取っ払って新造の足と交換するの図

本来ならベッドを一発削ります。で、精度がでたらそこで組むのではなく(それじゃ数年後元の木阿弥)一皮むけばベッドは薄くなる!ベッドは有限!!ということで上に一枚張るのが定石なのですが、それを許可する上ではないので今回は旋盤の時のままの状態で組みました。上が交代したら即、一発削ってその上に一枚張って、精度を出して機械にします。この手法をとればベッドは半永久的に使えます(もっとも私だったらベット自体、もっと「テコ台」のクランプ見地の理にかなったイカしたベッドを木型を起こして鋳物で吹きますが・・・)

父親は、創業時はこの旋盤を「絞り旋盤兼、旋盤」として仕事をして新たに絞り旋盤を入手してからはこの機械を旋盤として使っていました(組み換えが大変ですしね)

家康の「しかみ像」のように負の遺産として10年位、使用せず保存していたのですが(刃物台のパーツ、サビてたでショ?)場所をとるので結局は絞り旋盤に回すことにしました。

テールストック側の袴の製作画像がついに見つからずいきなり完成になっています。申し訳ありません。(この程度の袴の製作工程は秘密にするような技法はないので決して意図的に割愛してあるワケではありません。これに関しては・・・)これは溶接ではなく塊をくりぬいてできた一体モノです。もともと付いていた鋳物製の袴(これ自体もオリジナルではない)の上に乗っかってます(しっかり固定してあります)理由は、以前の記事で紹介させていただいたこの画像より大きめの「東京変速機」のヘッドがついていた機械を廃業された同業の方から譲ってもらったとき、その機械をよく見たらこの画像のような方式がとってあって、「す、凄いことしはる・・・こ、こんな方式でいけるんか??」と思い。同じ方式で実験的に作ってみたのです(ダメだったら正攻法で作り直せばよいだけすし。作り直しをする場合も低予算で、なおかつ簡単に作れます。とにかく何でも自分でできる実験は、どんどんしておかないと・・・上からの技術伝導とかないワケですし、素人なんですから・・・)

「決して、袴の底辺の加工や精度が出せないからこの手法をとったわけではないんだからねっ!」というか、以前紹介させていただいた製作途中で放棄されているバッチイ作りかけ絞り旋盤のほうは普通に作っていますし…あと、やはりすべり面の底辺部分は鋳物のほうが摩耗見地からベターなので2段重ね構造です(完成後、現時点で使っていて問題はまったくありません 売り物だったらダメですよね)

 

この画像には(秘密にするようなことではないのですが)解禁された極秘(?)事項が(以後続く記事も含め)多々含まれます。なんでも教えてしまうのはよくないという見地から(別に秘密にするようなことでない情報でも)何でもかんでも紹介してはいけないのだと昔、師匠に厳しくしつけられていますので(まだ、解禁されていないヤバいところは)省いています(この業界で下から2番目くらいの分際で「教えてはいけない」という表現もおかしいのですが、以下の記述に繋がります)

今から20数年前・・・私は、1年浪人したものの、入れてくれる「ガッコがない」ということで、潰しが利かないことと、面倒くさかったことが理由で、定食屋で「一番早くできるヤツを注文」的なノリでこの業界(単に親がやってる家内制工場)に入ったのですが

父親「ウルップへ行ってこい」

私「うるっぷは今、露人の島じゃないですか・・・せめて国内のおねっぷ(音威子府)にしてください」

父「オネップにはへら絞り産業はない。ウルップには常勝「青葉学園」がある!!」(全部、仮名)

・・・・要するに仕事を手取り足取り教わってこいということなのです。今にして思うと、自分も同じ仕事をしているのに他人に仕込んでもらおうという乞食根性・・・

それでも・・・それでも、自分が誰かに教えてもらった(父親は、殆ど誰にも教わっていない。簡単な鉄しか絞れない、アルミはそれより難しい。独立したての若者の頃は、まだ殆ど何も絞れない状態だった)技法のみ、つまり・・アルミしか絞れない(真鍮、その他大正時代系技術も含む)現代の技法を自分で研究する、編み出す気もサラサラない(例えば70年代に依頼が来た仕事でステンレスは一切受けない。断る!外注に出しつつ自分でも金型を作り研究する気持ちなどない)完成した品物は絞りの金型を絶壁にして、手で削る。旋盤?ナニソレ??(知っていてわざと言っている)そもそも旋盤自体がない(仕事としてできる範囲と創造力が激しく制限される)

父親がそういう系統の職人であるのなら、他人を頼って「どう考えても数10年後、消えゆく運命の小工場を延命させたい」という気持ちも判らないこともないのですが・・・

あるいは「世の中の厳しさを知ってこい」という考えでの指示なまだしも・・・でも部活とかやってたし(バカ学校の体育会系の異様な厳しさは判かる人には判ると思います)あまり良いマンガとは思いませんが「課長島耕作」とか当時連載中で毎週購読していたし・・・それに、同業ではなくて、国内の割烹の世界とか(メチャクチャいじめられそう)その他でも、良いと思うのですが。

気は進まなかったものの、当時は(いや、つい最近まで)上の命令には素直に従っていたので仕方なく「うるっぷ」(でも監督はサングラスはかけておらずどちらかと言うと名勝 城山監督)に行ったのですが、露人というのは、考え方が日本人と全く違っていて閉口します。

 

最初の1年半~2年くらいは日式でやってたのですが(例えば、誰よりも早く来て、事務所のシャッターを開けたりとか日本では当たり前のこと。でも、工場の中を駆け足で移動したりとかやらしいジェスチャーは絶対しない。)途中から「玉砕。此の字だけが心に広がる」みつを ハチロー たつや どんどん自分から死んじゃう(社内的に)方向に向かっていき(そういった状況に変化する経緯はいつか)  結論から言うと、その前から「お前はダメだ!」ということでオミソ。玉拾いだけして帰ってきたのですが

 

職場にいるので何か任されます(実際には何の指示も出さないので胃に穴が開いて出血しました 工場内にあった救急箱の胃薬がすぐ空になっていたのは私のせいです)

「チリ切り」部門という、しごく簡単な部署があってそこに確か、、のべ3~4か月(/60ヵ月中 笑)所属していたことがあります。そこの長というのが、うちの父親より6歳くらい年上。たまたま巨人が弱い時期に被ったのか絞り部署に回れなくて、すこし歪んでいる部分が(絞り部門の人間に対して)前面に出てしまっていたものの、気さくで、話し好きなオジサマだったのですが、仕事が絡むと、途端に悪い人になってしまいます。(会社の利益より自分の保身)

とにかく「たいへんだ、たいへんだ」 を連発するのですが「チリ切り」が一番楽な部署(まぁ、「こんな楽な部署はないですよ。アリガトサン!」とか将官に言うバカもありませんが)

誰でもこの部署につけば、すぐにそこそこ仕事ができるようになってしまう簡単な作業(基本を覚えてしまえばそれ以降は自力で難なくノウハウを積める)簡単な仕事しかしていない人間ほど、教えない、見て盗め(とは言われたことはない)ワザとポイントをズラして新人に教えて、少しでも自分に追いつかれないようにする情熱(将官は毎日ニコニコ =感覚がズレている。悪臭が嗅ぎ分けられない)

チリ切りは旋盤と切削バイトを使って仕事をします。で、なぜか知らないのですが、露人には、この業界での超硬の「ロウ付けバイト」の使用方法が理解されておらず、市販のロウ付け(この場合一般的には33型と34型)だとすぐ、チップがチビてなくなってしまう(←そんな研ぎ方してたら、そりゃあ、無くなるよという研ぎ方、使用法)ということで当時、自分でロウ付けするという(理解不能な)ことをしていました。

それから、当業界で使用する突っ切りバイトは「22型」(44型?も含む)しかし市販のロウ付けバイトで突っ切りは21型しか手に入らず22型は手に入らない。まれに売っていても不経済なチップの付き方をしているので、自分でロウ付けするしかない。よって22型を自作するのは理解できるものの、どうせ手作りするのであれば22型よりもっと使い勝手の良い(形式名なし)ヘラ工オリジナル突っ切りがあります。そのことも理解しておらず22型だけを乱造する(←そのこと自体は決して恥ずかしいことではありません)

33 34 22型の使い方については、私が何度も御注進したものの、取り合ってもらえず・・・(←これは恥ずかしいことだと思うのですが)いや、それは旋盤降ろされる前後期の頃の話で(はじめは全くの素人だったのでそんな進言はできなかった)それから、超硬チップ単体で買っても、同じチップが付いているロウ付けバイトを購入しても値段はほとんど同じです。

一番コチンとくる言葉は「自分の家に帰ってからやれ」(チリ切り長だけのセリフです 他の下士官や将官はそのようなことは言いませんでした)

例によって話がそれましたが、とにかく少しでも自分に追いつかれないようにする・・・つまり、「自分に依存しないと仕事ができないようにしたい」会社はたまったものではないのですが、知らなければ幸せ。という見地で職場は表面上きれいに回っていた。(誰もができるわけではない難しい仕事ならともかく、誰でもすぐできるようになってしまう簡単な軽作業)しかし社会に出る前から、そんなことは知っていたのでそれほど驚きはしませんでした(もちろんとても困りましたが)

まず、超硬バイトをグラインダーで研げないとこの仕事はできないのですが、練習させません。育てる気がないというより「成長すること断固阻止!」

名目上は「オマエが研ぐと刃がおかしくなるので研ぐな、俺に頼め」です。確かにヘタクソが研ぐと使用していないにもかかわらず刃はどんどんチビていきます。私だったらSS材の四角い棒(つまり廃バイトの柄など)で研がせてみてから、ある程度上達した後に(半日もかからない)チップを渡して任せてみるのですが「断固阻止」なのでチップ渡さない。あまつさえバイトの研ぎを頼むと、さも面倒くさそうに「おもりは、たいへんだぁ、たいへんだぁ」(←それも含めてオマエの仕事だろ?と言いたい)

どういうわけか、私のような大人しい人間は(正確には弱そうなオーラが出ている人間は)何をされても気を悪くすることはないと思われる傾向があるようで(それでも私にも感情というものがあるので)「悪意しかないのだから、命令などたまに無視してもよいのだ」という考えで10回に一回くらい、勝手に研いで、(当然自己流で、いきなりうまくは研げない)滅茶苦茶怒られたりするのですが、カエルの面にションベン(というのは大ウソで気が小さいのでとても辛かったです でも再び同じことをする) 研いでいるところも見せない。覗き込むと、笑顔で「暗くなるから覗くな」(←彼は嘘はついていない暗くなる)しかし覗かないと絶対判るようにならないので、10秒間程時間をおいて、ほどほとぼりを冷ましてから再びのぞき込んで、今度は大声で怒鳴られる。 こんなことの繰り返し(グラインダーに照明をつける権限があるのは将官。しかし下士官や兵卒も提案はできるのだが・・・意味不明な部署。 まぁ、シビアな総形バイトとか使う機会もないからなのでしょうが そもそも照明以前につけるべき装備は集塵装置。これがないのは、節約でも無知が原因でもなく「命のスペア」があるから)

このようにクソのような状況下では私のような人間では、絶対に自力で研げるようにれないのですが(切削バイトの2番(にばん)を舌で舐めても何も得られませんし←それは鍋底)その時は私にも、まだ悪運があったようで、2番目に偉い(事実上の支配者がいるので実際には当時No3)将官の友達だったか知り合いの工場主が廃業するということで、大量の道具が社内に入ってきました。

その中に工具棚があってその中に、当業界ではまず使用しないロウ付けの切削バイトがゴッソリ入っていて(35 36 39 41 42型といった当業界では誰も使わない)それらチップを剥がして、再びロウ付けすることで自分専用の切削バイトを所有できるようになったので、それからすぐバイトの研ぎはできるようになりました(これだけは運がよかった)チップが入手できなくなると(なぜかレアメタルなのに)まとめず(知らなかったのか?)屑入れその他にほかしてあった廃スローアウェイのチップなども利用してロウ付けバイトも作ったりもしましたが、当時は全くの素人同然だったので(まったく成長なし)チタンコーティングの理屈もわからず、普通にロウ付けして使用してポロリとチップが剥がれたりして、今度は金色(コーティング)を剝がさないとロウ付けできないことを知り・・・それでもコーティングの理屈が判らなかったので(このような状況下では自力では無理)廃スローアウェイチップの再利用を阻止したいメーカーの意地悪なのだろうか??(そんな必要はない。そもそも使い捨てチップを購入している時点で再利用なんて普通しないのだから)とか思ったのも、思い出。(良いとは言わない)

このような境遇で、私がさぞ辛かったと言いたい(可哀そうなボク)と思われるかもしれませんがそれはありませんでした。そもそも彼は悪人ではありませんでしたし。(一番下にいると人間の善悪や会社に対しての忠誠心や社員一人一人の備品、道具を大切にする気持ちの有無は容易に判ります)

私が配属された部門はチリ切り部署の他に「懲罰部署」と「プレス部署」があって、そこに比べたら本当に遊んでいるようなものだったので(仕事がなくなって手が空いてしまうのが一番効きました)まったく苦労には当たりませんでした

懲罰部署というのは、本当に誰でもできる簡単な、本当に簡単な部署で、入ってすぐ、将官の一人が1日か2日びっしり付いて一緒に仕事をしながら教えれば誰でも長になれてしまうような楽な部署だったので、私が所属していた時の長はチリ切り部署の長以上に、いろいろな負の努力をしていました。まず、材料がどこにあるか自分にしかわからないように迷路のように配置する。そうすると何か用事があっても、長がいないと材料が出せなくなる。残念ながら役員手当の中にそのような矛盾を取り締まったり叱咤する手当てが入っていなかったので、普段はやたら強気な将官も見て見ぬふり。何も言えない。しかし、あまりにも彼のおこないが目に余るということで、ついに事実上のNo3(名目上No2)が注意したら、ふてくされて次の日から何日も出社しない。当然その部署は麻痺します。

日本だったら、「そんな人はもう来なくて結構」 (いや、普通ここまでのさばる前に指導か配置転換)となるのですが、事務員の人に電話をさせて優しく出社を促したりとか、意味の分からない采配。

そのようなことは私にはどうでもよいことなのですが(気を悪くしているので)入社した時から私にだけ一切指示を出さない(いじめられているわけですが)当然、私との関係は悪くなっていきます。気が小さいので彼に合わせるということで、それなりにやり過ごすのですが、心から軽蔑していますし、「これはひどい!」ということもまれにあったりするので(それなりの報復が来るとわかっていても)何かしら、対抗手段をとると、当然何倍にもなって報復が来ます。よくやられたのが「全く身に覚えのない濡れ衣をかぶせて「名将 城山監督」No1(事実上のNo2)に訴える」ワケです。

 

将官の中に「ガルマ殿下」のような人がいて(いますよね友達でそういう人「あいついい奴なんだけどなぁー」的な?)とてもいい人(私はその人のことが好きです)なんだけど、少々、かなりズレていて非常に困ったことがあったのですが、それよりずっと下の世代の将官(悪者ではない。腹の中はきれい)になると、さらにそのズレが顕著になって、私とおなじ部署にいて、私がいじめられているとこなど、全く気が付かない。(殿下はズレていましたがそこまではひどくありません)

判りやすく無理やり例えると、あの暗いドラマで有名な「俺たちの祭」 第11話「赤い火花」のようなカンジ。さらに不幸なことに、懲罰部署の長だけではなく、名目上のNo1(城山監督)がこの手をたまに使うワケです。(ドラマでは「君は最低だよ」・・・・と返します)

で、TVドラマですと、「ドラマに出てくる偉い人」は「相手の訴えを一方的に信じて、申し開きもさせず一方的に裁いたり、判断をしないのですが」仲間たちが陥れられた人間を一時的に白い目で見たりします。しかし現実は真逆で、偉い人が逆鱗(事実上の支配者に睨まれたらお終い)対照的に他の兵卒や下士官の人はいつもと同じように接する。何も変わらない。「いじめっ子は3人が基本」(後記)ということで普段私をめちゃくちゃいじめていた外国人と配下の2人でさえ、そのことを理由に私につらく当たったことはなく、いつもの平常運転(なイジメしかしない)だったことが、興味深かい。

ポイントは、懲罰部所の長は、陥れるときに「私の方に事実の有無を確認に来ない 申し開きできない状況下になる」No1(城山監督)とか、ガルマ殿下より下の世代の将官にしか訴えないので、効果は覿面だったのですが

No1のほうは、同じ手法をとるにしても事実上の支配者その他の将官には効果があったものの、直接訴えたのか、他の将官から耳に入ったのかNo2の耳に入ってしまい、ものすごい形相で私のほうに確認に来ます。彼は銭形平次に出てくる「箕輪のダンナ」とか横溝シリーズの加藤武氏が演じる「等々力警部」のような気(け)があってまれに閉口することが多々あったのですが(それ以外はマトモ)「荒っぽいけど、話は判る」タイプだったので、すぐに状況を理解してくれたのですが、箕輪のダンナの生まれ変わりのような人なので4回くらい同じことはありました。(さすがに5回目はありませんでした)この件に関してだけ(城山:「佐藤の野郎がXXXXXしやがった!!」などなど)やっと城山監督の話だけで判断しなくなった模様。(これを、確認も取らず一方的に「鵜呑みにしない」と言う)

 

あとは、プレス部署 ここの長がまたキョーレツで、ここに来た人は皆、仕事が嫌になっちゃう所(毎日枕を濡らしていた人もいたそうな)しかし、どんな組織でも新人や下っ端は、常に気を張っていないと何をされるかわからない、常にビクビクしながら仕事を覚える。毎朝出社するのが嫌になる。このような状況も(本人はたまったものではありませんが)組織としては逆に良い方向に流れるのは(部活とか軍隊とか)割と昔から知られていますし、そんなことで泣いて帰ってくる(辞職)ようでは、この先使い物にもならないだろうし(もちろん毎日メチャクチャ憂鬱でした)騒ぐには当たらんと今でも思っていますが、安全対策の面で(安全装置使用云々以前に、ちゃんとクランプされていない上型が使用中落下してくるなど)右を見ても左を見ても生命の危険を感じたので、必要最低限しか行かない、むしろ意図的にトボケて行かない。(今現在やってるプレス作業の方が何が起こるかわからない装置ですが、全然怖くないです 責任=自分ってヤツです)

彼の良いところは、部下に関して誰に対してもキツい。ひどい仕打ちをすること(裏表がない)チリ切り部署では、相手によっては「これではいつまでたってもできるようにはならないではないですか?私にチップ支給してください」といっても、後日タタリがある場合とない場合がありますし(つまり相手によって態度が変わる)それがプレスの長にはありません。

 

で、ここまでは、どこの会社に所属しても同じことはおこりますので、声を大にして訴えるようなことではないのですが(将来の下士官とか兵卒を育成する場合「甘やかせて育ててもそんな人間は全く役に立たない。辛いなら辞めてしまえばいいじゃないか?いらないよ、そんなヤツ」という見地から)しかし、先ほど言った「いじめっ子は3人が基本」の外国人とその手下2名に苦しめられます。

(ちなみに上からの命令で「可能な限り待機せよと」言われ・・・そもそも辞めて帰ってくるという発想が上にも私にもなかったのでこのような異様な環境になっただけで、もし自分の意志で入社した会社だったら、このような状況になる前に、「あ、こら、アカン」ということで、1年半位でさっさと辞職しています。今の感覚だったら、辞めてます。で、何かあるごとに一生、上に言われたと思います。「社会の風に耐えられず押しつぶされたクセに」とか「どこに行っても根性がないから会社勤めはオマエには出来ない」「社員にしろだと??冗談じゃない、お前はこれからもお手伝い枠で充分!役になどたっていない」等々)

彼(いじめっ子のリーダー)のことは「バルジ大作戦」から取って何進将軍シューマッハ中尉(少佐?)と脳内で呼んでいたのですが、シューマッハさんがいなければ、その他子分の2名も、私につらく当たることはなかったと思います(運が悪い)シューマッハさんは、自分の親くらい年の差がある懲罰部所の長まで子分にしていて勢力を伸ばしていたのですが(それから、実際に見たのは生まれて初めてだったのですが「光源氏計画」を実践していました。非常に時間を要する計画なので上手くいったかいかなかったのは確認できませんでした。  この場合女性ではなく、自分の傘下、保身のための基盤となる人物の育成を指す)私としてはあまりかかわりたくないので、冊封のお誘いも、やんわり断りなるべく近寄らないようにしていました。しかし気が小さいので、波風を立てぬよう一応従順にしていたものの、他の子分に比べて忠誠度が低いというか表面上合わせていてその実全く尊敬していないことが薄々分かっているようで、私に対して常に嫌がらせの手を緩めませんでした(自分から心から服従すれば無茶な要求はされても年齢も20歳以上離れていたしそれほどひどい目には合わなかったと思います。でも、そんなことしたくなたったんだヨ・・・)

シューマッハさんの懐刀。一の子分は私など、オミソのような存在なのでイジメるような対象ではない。ということで、もっと中堅の自分と同じくらいのレベルの人間のほうに的を絞るのに忙しく、私への対応はお留守。二番目の子分は、根っからの悪人ではない。付き合う仲間によって行動が左右されるタイプ。現実が受け入れられないタイプでもあり。(此処に再就職したのも本当は自分が不味い食い物作っていたのが原因で・・・略)彼は今より条件の良い就職先を探すのが難しいとかその他諸々の理由で、社内生活を潤滑に進めるために子分をやっているようにしか見えない。本当は親分の顔色を窺って会社生活をするのが嫌で仕方ないものの無理をして合わせている気(け)があって、自分と同じような立ち位置に見える私(佐藤)がシューマッハさんの顔色を自分と同じように伺わない私のことが許せないという、ゆがんだ感情を持っているように見える。 余談ですが、ときどき見かけることのあった彼のご子息、社会に出て大丈夫かなぁ???とか老婆心ながら考えてしまう。

各部署の長は一緒に仕事をしない限り、私に害を加えることはなかったのですが(懲罰部署の長はシューマッハさんの指示を受けることもある 元々悪人ですし)シューマッハさんは常に全く関係ない場所から私を苦しめることになります

そのほかに(この手の番組は嫌いなので)一度も視聴したことはありませんが「目撃ドキュン」の番組内容のような年の近い先輩方がいます(一度も見たことがないので微妙に違うかもしれませんが大体合っていると思います)

同じ職場にいるだけならば、いろいろと理不尽なことはありますが、なんとかやり過ごすことができるのですが(それでも一歩間違えるとバック・トゥー・ザ・ヒューチャー①で主人公がタイムスリップして学校で若かりしき頃の父親が廊下でビフ一味に尻を蹴っ飛ばされているシーンのような扱い  さらにそのシーンの直後ビフ一味ではなく、やられてた主人公の父親がハゲの先生に怒られるところまで、再現度がかなり高い)相部屋で一緒に暮らせという命令が下ります。よくある学園モノにあるうな相部屋ではありません(見ただけで、とんでもないことが起こるのは容易に想定できます)はじめは先輩も「理不尽ないいがかり」を私に対して行っていることを理解していますが。理不尽なことが通ると学習していますとその時よりももっと悪い人間になってしまい、被害もどんどん拡大します。奴隷認定こそ、されませんでしたが、出口なし。毎日非常に辛いというより「危険な状態」が続きました。小学生の頃は仲間でも、中学生あたりになると、そのような人は出てきます。しかし、そんな人にまず近づきませんし、義務教育が終わり、高校に進学すると、ガラが悪かったりヤンチャな同級生はいても、そのような人種はいませんでしたし・・・

 

これだけは、想定外の辛さ。本当に辛い毎日ではありましたが、その中でも、一番辛かった、危険な状況に陥ったのは、

将官のお歴々はズレているので、その手の危険性は一切わからない。

例えば朝、来たり来なかったり。休日の次の日に風邪で休もうが無断欠勤しようが、「その手の子」も「普通にやっている子」もみな同じに見える。どれでもいっしょ。

これに対して、私の毎日の辛い気持ちを一番理解してくれたのは、不幸なことに「シューマッハさん」そこで彼が、やるんですよね。「佐藤の教育がなっていないから、もっと佐藤をシメておけ」的な指令を。

普段、やんちゃな彼らはシューマッハさんの言うことなど(心の底から彼のことを馬鹿にしているので)それほど聞かないのですが(表面上は従っているように見える)この時ばかりは、忠実な家臣になって何をするかわからない状況になってしまいます(本当に危険な状況)

もしも、私が「目撃ドキュン」の年の近い先輩方の一人だったら、オミソの佐藤を血祭りにするならば(素養や、一般教養、一般常識がなかったり粗暴なところをバカにするような態度や、どこか人を見下すような態度をオミソがしていたのならば別)その前に、自分も反撃を喰らって少々深手を負うことになっても、「オマエ、ハナに付くんだよ!!」とか言いつつ、シューマッハさんをやっつけるだろうなぁ・・・と思う。

これは、シューマッハさんをコテンパンにしたいという感情ではなく、複数で弱いものイジメをするのであれば、まず厄介そうな難敵の方を潰してから行うという美学。しかも仲間に頼らず、一人で挑むのがキモです。

 

話がまたそれましたが、辛い顔を見せると同じ手でどんどん攻めてくるのはわかっているので、辛い顔は一切しません。

それでも、もうどうすることもできない状況になって(殴るわ蹴るわは証拠が残るのでそれほど痛くない 体育会系のセッキョーや練習中の暴力の方が痛い、苦しい)自殺をする予定はありませんでしたが、仕方なく、この場合役職的にNo1に相談したら・・・(長くなるので書きませんが、最近のニュースでは、相談した次の日に自殺してしまうパターン)

この件について(No1の態度)は想定していた事項だったので別に驚きはしなかったのですが、死ぬほど意外なことが一つあって、それはNo1のおかげで(あと私の焦土作戦)とても残念なことでしたが完全に敵に回してしまった事実上の支配者(完全に敵にしてしまいましたが、とても良い人)が自分のことのように、その場で怒っていたことです。

 

3つの部署の矛盾について書くつもりが「恨み帖」になってしまいましたが、まぁソ連の話しですし(嘘)25年以上前のことですし(四半世紀は経った)・・・時効はありませんけど・・・

「なんでも教えてはいけないという」事項はあると思います。一子相伝の技術はともかく(置いといて)教えればできてしまうことでも、選ばれた人間にしか教えてはいけないことや、とぼけて技術テロとか(初めから設備はそっくり全部おいて帰る予定マンマン)等々・・・

 

ですから、上手い例えがなくて恐縮ですが例えば、当業界で例えるなら、液体窒素を使った加工法についての、考察などは、業界内で薄々広まっていたとしても(蛸壺の中に籠っているのでその手の広まりについての状況はわかりません)私のような人間はまだ発言する立場ではないということです。(ちなみに、この工程は弊社では、父親にも見せません。教えません。しかし本当の理由は上記のような「誰にでも教えてはいけない」ではなく、斜め上な理由で「多分父親が窒息死するから」(粉塵、発火ガス、吊り、クランプ、その他の危険性についてあまりにもずさんなので)これは本当の話です。

 

うるっぷから帰ってから、殆ど素人の私は「ずいぶん遠回りをしちゃったけど、これからかんばるぞぃ!」とか思うこともなく、潰しも効かないし「ラーメン屋にでもなろうかな?」と考え(安直すぎ)はやりの店に行ってみるのですが(90年代後半)とんこつ系のスープの中にそうめんみたいな味のする(ものすごい違和感)麵が入っていて、とても口に合わないものの、周りの客に異様にウケている様子を目にして、「あ、この手のラーメンは作れないや・・・自分が嫌いだから、絶対に編み出せない」と挫折。現在に至る。

昭和50年代に(関東で)普通に町中にあったラーメン屋(おいしい店に限る)のタンメンとか八宝麺のような美味しいラーメンじゃダメなんですかね??(謎

現在のラーメンブームは、その手のラーメンとは非なるモノ。

まだ、そういう系統の店はあるのですが、経営者の老齢化で行きつけのラーメン屋さんがだんだん減っていきます

 

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